心の修行

今日は朝、小さい頃の夢を見てうなされて起きた。
夢の中でも自分は臆病者なのである。
死ぬ覚悟でやればなんでもできるはずなのに。
頭ではわかっていても体が動かない。
昔からよく自分で修行していた。
毎日トレーニング用のメニューや器具をつくっては実践したり、
山にこもってみたり。
ただいくら体を鍛えても心はなかなか鍛えられないのである。
10代の後半からは興味の対象が力から知へとなり、
体より心を鍛えることにも努力したが、
もしかしたらかえって弱くなっているのかもしれない。
もう長いこと心の中をさまよっているような気がする。

昨日もまた心の弱さがでてしまった。
もう関わらないはずだったのに。
もう迷わないはずだったのに。
普段、会社をどうのこうのとか、国をどうのこうの考えているくせに
自分自身の感情すらコントロールできないのである。

時々戦場へでも行きたいと思う。
極限の中でどれだけない勇気を振り絞れるのか知りたいのである。
普段の生活ではあまりにも物質的に精神的に恵まれすぎていているのである。

今、吉田松陰の弟子、久坂玄瑞の言葉を思い出した。
(正確な言葉は気になって調べてみたのだが・・・)

『自分は意志が弱く、何かことをなすような人間ではない。
しかしそこで自分を駄目だと思ってあえて何もしなければ、
すなわちできることもできなくなってしまう。
一時の平安に身を任せることを、日また一日と重ねれば、
ついには畳の上で老死するだけである』

禁門の変で25歳の時に散る5年前(つまり20歳の時)に残した言葉である。

彼のような志に生き、志に死んだ真の志士が
こんな言葉を残していたなんて本当に涙がでてくる。
このような震えるような感情でさえ、
明日の朝には消え失せてしまうのだろうか。
少なくとも今この瞬間、熱い感情があった
ことだけでもここに書き記しておきたい。

2004/08/23

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