ものをつくるという事

今日は久しぶりに仕事をしないゆっくりした日曜日だった。
雨で特に予定も入れていなかったので、ほとんどどこにも出かけずに家にいた。
クーラーが壊れかけているので雨で涼しいのはとてもありがたいのである。
(やっと昨日サービスセンターから来て、
旧式で部品がないので、新品に換えますとの事だった)

明日からまたは少し忙しくなりそうだ。
でも基本的に仕事は好きなのである。
世の中仕事が嫌いな人が多いのだが、自分の場合は仕事ほど面白いものはないと思う。
(というか面白くない仕事であれば長続きしない)

今まで仕事をしてきて一番こだわっていることがある。
それはものがつくれる仕事をしようということだ。
もの(作品)をつくる事は表現するという事でもあると思う。
だから正確にはなにかを表現できる仕事をしたいのである。
それが人によっては映画であり、音楽であり、本であり、料理であり、
いろいろなものに変わるが、ただ表現する手段が違うだけだと思う。

今仕事にしている教育用のソフトウェアだってそうなのである。
一般にソフトウェアをつくる人(プログラマ)というとひたすら
目的を遂行する為の作業者というイメージがつよいが、
自分はプログラマとは自分で想像したものを実体化できる芸術家に近いものだと思うし、
またそうあるべきだと思う。

楽器を上手に演奏する事、文章を上手に書くこと、絵を上手に書くこと、
包丁を上手に扱うこと、コンピュータを上手に扱う事(技術)。
それもすごく重要な事だけど、それより大切なものはやっぱり表現したいものや
それを実体化したい気持ちがあるかどうかだと思う。

最近この mixi というシステム(ソフトウェア)をつかっていてもよく感じるのだが、
一つ一つのデザインや機能に会社や開発者の思いが込められている、
そんな気がするのである。
そしてそれらが人々や社会へ与えている影響というのは決して少なくないと思う。
ソフトウェアにはそれだけの可能性があると思うのである。

また究極的には人生だって一つの作品だと思うのである。
人生という作品をいろいろな手段をつかって一生かけて磨き上げていく。
そこから生まれる人の価値観、言葉や振る舞いさえも一種の作品だと思えるのである。

今日、初めて同じような事を人に言われてしまった。
自分と同じような言葉の表現をする人が世の何かにいるんだって。
ちょっとした感動だった。

自分なんかまだまだ未完成な作品だが、未完成な作品ほど頑張りがいあるのである。

最近自分自身の考えばかり書くようになって、あまり日記になっていないような・・・

2004/08/30

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