昨日の夜はお酒が入っていたせいか、久しぶりに早く寝てしまった。
朝起きたら今日も仕事のメールがたくさん届いていた。
毎日この処理から始まる・・
今日はなぜか一日中、尾崎豊の曲を聞いている。
外界の音をシャットダウンし、ヘッドフォンで。
昨日の夜、飲んでいる時にたまたま尾崎豊の話をしてしまったからかもしれない。
尾崎豊。 人によって様々な印象を持つであろうアーティスト。
ただあまりにもメディアに歪められてしまっているように思えてならない。
様々な矛盾を抱えながら、必死に答えを求め、考え続け、
そして必死にそれを表現しようとした人物。
それが自分からみた印象である。
彼ほど自分に正直に真剣に生きた人物はいないと思う。
今からちょうど10年前、尾崎豊の曲を毎日、朝から晩まで聞いていた。
彼の一つ一つの曲の中の言葉・旋律に心の底から共鳴していた。
まるで乾ききっていったスポンジに水が染み渡るように。
彼の音楽が心の中に染み渡っていった。
彼に出会う事によって真剣に生きたいと思うようになった。
覚めない夢を見るようになった。
初めて詩を書き、それを机と自分自身の心の中に刻み、一人で生きる事を
決心したのもその頃である。
笑われたっていい。 理解されなくてもいい。
やっぱり今なお尾崎豊に心奪われているのである。
彼の曲を聞くと全身に震えがくるのである。 拳を強く握り締めてしまうのである。
15,6歳というのはきっと人生の中で最も大切な年頃なんだと思う。
一番感受性が高くて、脆くて、傷つきやすくて・・・それでも何かを求めようとする。
そんな年頃に彼に出会った。
人生の中で自分の人生を一変させてしまうほどの衝撃的な出会いなんて
そうそうあるわけではない。
自分にはそれがあったのだ。
いま思う。 自分の原点はあの頃聞いていた尾崎豊の曲にあると。
彼は今でも自分の心の中に生き続けているのである。
人が何かに酔うという事はとても危険な事である。
しかしその反面、強烈に輝く可能性を秘めていると思うのである。
現実主義でバランスのとれた合理的な人生よりも、短くても一つの詩のように
情熱的で詩的な人生を歩みたい。
人は自分という作品を作り上げる、きっとその為に生きているのだと思うのである。
2005/02/25