今日は料理の日

今日は教会で料理当番の日だった。
(数年前から月に1回か2回ぐらいは自分の行っている教会で料理をつくることになっているのである。まあ一種のボランティアみたいなものである。)

つくるのはいつも中華料理で、毎回20人~30人分を一気につくる。
お手伝いさんも大抵5人ぐらいついてくれるのだが、それでも一日がかりの大仕事になってしまう。
今日も昼から材料を仕入れて料理をし、やっと今帰ってきた。

しかも自分の場合、予めメニューが決めているわけでもなく、いつも教会にある野菜やスーパーの中をうろうろして、頭の中であーでもないこーでもないと決めるので買い物にも時間がかかるのである。

結局今回は「酢豚」と「角煮」と「空心菜とにんにくの炒め物」と「くらげのサラダ」と「玉子スープ」の5品をつくることにした。

いずれもよくつくっているものなのでちょっと甘く見ていたのだが、酢豚だけは計算外だった。
酢豚は材料が多いのでそれを全てきって、豚肉をあげたり、野菜を油通しするまでにすごく時間がかかってしまうのだ。
しかも必ずといっていいほどある材料が少なかったり、なかったりするのだ。 その度に買いに行ってもらったりして、結局、調整に時間がかかってしまって通常より30分近く時間がオーバーしてしまった。
手伝ってくれた方々にも悪いことをしてしまった。

ただ味は結構思った感じになっていたのでそれだけは幸いだった。

でもみんな料理の事を誉めてくれるのだが、なぜ自分が料理をつくっているのか今でもわからないのである。
自分なんかより普段料理をつくっている主婦の方が向いているのではないかといつも思ってしまうのである。(実際手伝ってくれる人の半分近くが主婦の方だし)
自分なんか料理を作る時もかなり大雑把で、まず分量もはからないし、予め計画も立てられないし、本当に感覚だけで料理をやっているのである。

それでも料理の担当になっているということは、きっと教会の為に何もできない自分に神様からそういう役割を与えてもらえているのだと思う。

小さい時、家が本当に貧しくて毎日同じようなもの(ほとんどパンの耳)しか食べられなかった。(時にはそれすらない事も・・・)
実家は教会をやっているのだが最初の頃は信者さんもそんなにいるわけでもなく、本当にその日暮らしの毎日だったのだ。

だから給食や、たまに友達の家で食べるご飯は本当にご馳走だった。
中学の頃、年を偽って中華料理屋さんでアルバイトをはじめた時もそうだった。
賄いででる料理があまりにもおいしくて、本当に毎日毎日涙をこらえながら食べていた。
またそれと同時にこんなおいしい料理をつくる人が魔法使いみたいに思えたのだ。 そしてその魔法を自分も覚えてみたいと思った。
アルバイトだから普通は皿洗いしかやらせてもらえないのだが、そのお店は本当に家庭的で親切でいろいろ教えてくれたのだ。(半分社員扱い)
(今でもそのお店には実家に買えるたびに挨拶に行っている。)
といっても当時教えてもらった事は今ではほとんど覚えていない。
でもあの時、食べた味、食べた時の感動だけは鮮明に覚えているのだ。
今でも食べ物に対する感動は人一倍ある。

教会で料理を作っている時もその味を思い出し、それを実現しようと試行錯誤しているだけにすぎない。

基本的に料理も表現の手段だと思うのだ。 料理に必要なのは技術よりも想像力だと思うのである。

自炊はきらいだけど、いろいろ考えてつくる料理は好きなので、これからも地道に頑張っていきたいと思う。

2004/09/04

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