エピソード2 銀座の路上で花屋を開く

1996年11月、ある韓国人と一緒に銀座の路上で花屋を開いた。
その韓国人は以前、住み込みの新聞配達で知り合った韓国人の友人(この人は今は日本で映画監督目指しており、良きライバルでもある。)の紹介で知り合った人で、法政大学に通う留学生だった。
韓国人というのは本当にエネルギッシュだと思う。
特に日本に来ている韓国人というのは日本で何かやろうと思っている人がほとんどで、自分の知っている友達の多くが何らかのビジネスをもっている。
この花屋のビジネスも、それらのビジネスの一つで一緒にやってみないかと、その韓国人の友達に声をかけられた。
花屋といっても銀座の路上で花を売る屋台みたいなもので、合法的とは言えなかった。
資本金は2、30万ぐらいで、それで安い中古の軽ワゴンと必要な機材を買った。半分は自分もちである。
韓国人の友人は花の仕入れのできる免許のようなものを持っていて、その友人が葛西にある市場で売り物の花を全て仕入れてきてくれた。自分の仕事は花を売る事と、開店、閉店の作業だった。
また屋台の花屋といっても、お店の見せ方にはかなり自信があった。他の人たちは軽トラックに車に花を積みながらそのまま売っているのに対して、うちらはせっかくきれいなものを売るのにそれでは価値がでないと、花を並べる手作りの台を用意し、それに真っ赤なテーブルクロスをかけ、照明もきちんとして、それなりのお店に見えるようにした。そのせいか、多くの人達が立ち止まって花を買ってくれた。
花屋の売上はいい時で2、3万、悪いときは5千円もいかないという日も結構あった。
その半分ぐらいは利益になったが、トータルでみると結構厳しかった。
その頃、自分は秋葉原のパソコンショップでバイトをやっていて、昼間は秋葉のパソコンショップの店員をしながら、夜は銀座で花屋でお花を売るという生活を続け、毎日忙しかった。
しかも堅気でない人は毎月来るし、警察も何度か注意しに来た。
それでも花を売りながらいろいろな人と話せるのはとても楽しかった。
年が明けた、ある日、警察がまた来た。
おまえ達この前も注意しただろ、といわれ今度はパトカーに乗せられて近くの派出所までつれられた。
当時自分は18歳で未成年だったので、親にまで電話をかけられた。 うちの母親の方は誰とでもとてもよくしゃべるので、母親と話してるうちに警察官も怒る気力がなくなったようで、結局、注意と、もう二度とやりませんという誓約書みたいものを書かされるだけで終わった。
韓国人の方もどうやら助かったみたいだった。
さすがに韓国人も続ける勇気がなかったらしく、わずか3ヶ月で花屋さんは終わってしまった。
今思えば、結構楽しかったなと思ったりするのである。

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