エピソード1 ロサンゼルスで無一文になる

時期:1995年(当時17歳)

1995年9月11日、16歳最後の日に友達に見送られながら実家を出て、 1995年9月12日、17歳の誕生日の日、バイトで貯めた全財産、約8万をもってロサンゼルスへと旅立った。
英語もあまり話せないし、考えれば不安の種はつきなかったが、それでも抑えきれない好奇心と希望の方が大きかった。
成田を飛び立ち、ロサンゼルスに着き、バスでダウンタウンについた時、高校を辞めてまで行きたかった国へ今、立っているんだ思っただけで、心がふるえるほど感動した。
もともと所持金8万円なんてすぐに底を着くことはわかっており、アメリカではバイトしながら生活するつもりだった。正直、日本にも当分帰らないつもりだった。日本ではいろいろな飲食店でバイトをしていて、どこのお店でも要領がいいと褒められていたので、同じ飲食店であれば言葉が通じなくてもやっていけると自信があった。
リトル東京には日本食レストランがたくさんあると知っていたので、リトル東京の近くにホテルを借り、リトル東京中のレストランをほとんどまわってみたが、どこもノービザでは人を雇うの難しいとのことだった。ちょっと考えが甘かったかなと思ったりしたが、それでも何とかなるような気がしていた。
しかし、約1ヶ月もたつとお金もほとんどなくなり、ホテルにも泊まるお金もなくなり、とうとうホテルを出て、住むところもなくなってしまった。
その時の残金、わずか5ドル。
それでも日本へはまだ帰りたくなかった。
とりあえず、有り金でパンと牛乳を買い、外で寝る事にした。
朝早く起きてエバンスアダルトスクール(ロサンゼルスのダウンタウン郊外にある無料で通える移民向けの語学学校)へ行き、終わると日本の書店で立ち読みし情報を仕入れながら、夜になるとまた別の無料の英会話のイベントへ行く、そんな日々が1週間ぐらい続いた。
しかしある夜、ビルの陰で寝ていると、その周辺を見回りしていた人から見つかった。日本人が外で寝てるというのは、ちょっと不思議らしかったらしく、日本人がこんなところで何をしているんだと、いろいろと聞かれた。
その見回りをしていた人は近くでお菓子屋さんを経営している人で、当番制でこの周辺を見回りしているらしかった。
この人は本当に親切な人で、お金がなくなって、帰ることもできずここで寝てるんですといったら、とても同情してくれ、次の日からその人の経営しているお菓子屋さんで働く代わりにホテル代を出してくれた。本当はいけないということなんだけど、事情が事情だけにしかたがないとの事だった。
それから数週間、アメリカにいられることはとてもありがかったが、周りにも迷惑をかけていると感じ、一度日本に帰って出直そうと思い、帰国を決心した。
約2ヶ月の滞在だったけど17歳の自分にとってとても長く感じ、はかけがえのない期間だったと思う。
今でもよくこの頃の自分を思い出す。
あの頃は本当に純粋に生きられたなーと、まだ何も先の見えない人生だけど、何にも縛られずに、ただ自分に志に従って。

それから約五年後、、
2000年3月、アメリカのテキサス州に留学中、ロサンゼルスに用事があって、そのついでにそのお菓子屋さんを何度か訪ねに行ったが、留守にしているとの事だった。
しかしテキサスに帰る最終日、本当に時間的にギリギリだったが、最後のチャンスと思い、お店を訪ねたところ、その5年前自分を助けてくれた人がいて、自分をみたとたん、ああ、あの時の少年かと思い出してくれた。
覚えてくれたんだ、と思い、本当に涙が出るほど嬉しかった。
それから2時間ほどしか話せなかったが、会えて本当によかったと思う。

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