エピソード3 自転車でテキサスを横断する

時期:2000年5月 (当時21歳)

2000年5月、アメリカへ語学留学中、アメリカのテキサス州を自転車で横断した。
きっかけは友達と3人で夕ご飯を食べている時、マラソンしたいねーとかという話になって、(中学の時ずっと陸上部で駅伝もやっていたから)じゃあダラス(大学のある町から約200km)まで走っていってみようか、という話になり、それじゃあ何日もかかるでしょとかという事になり、それじゃ自転車は? 自転車だったらもっと遠くまでいけるよね、もしかしたらメキシコまでいけるんじゃん、という事になった。
その時は学校の授業が終わり、アメリカから帰国する直前で、お金があまりなかったんで、自転車だったら交通費もかからないし、泊まるとこだって野宿すればいい、よしやれるなという気になってきた。
でもその事を話すと外人はクレイジー扱いするし、日本人はかなりあきれていた。
中にはすごく心配してくれる人とがいたりして、心配させるのは悪いなと思い、なるべく話さないようにした。
なんでそんな事するのってよく聞かれたんだけど、はっきりいって目的は特になかった。
ただその頃、ちょっとした事があって少しやけになっていたのかもしれなかった。
もしかしたら途中で死んじゃうかなーなんて本気で考えてたし。
それぐらい危険だった。 テキサスには毒グモ、毒ヘビ、サソリ、狼、など危険動物は特に多く、それらに襲われたらかなり危険である。
町だって30マイル(約50KM)ごとにしかなく、テキサスは砂漠みたいに乾燥しており、日差しがとても強く、水を切らしたら途中で倒れる可能性だってある。
しかも海外保険などにも一切入ってないから病院に行ったらそれこそ莫大な費用がかかる。
確かに客観的にみたら狂気の沙汰としか思えないような気がする。
それでもなにか変わるような気がして、やってみたかった。
ただ心配なのは年下の友達が一緒に行くという事だった。
自分ひとりだったら、死んでもいいけど、友達を危険な目に合わせたら、友達の親にも顔向けできないなーと思った。
でも本人はとても乗り気だし、親も説得したみたいだから、結局行く事になった。
出発前日に準備をはじめ、出発当日、予想通り日差しが強く、向かい風も強かった。
けれでも出発するといたって順調だった。
確かに向かい風は強かったが、危険動物などにも遭遇せず、初日は最初の目的地 Archer city にテントをはってぐっすり寝ることが出来た。
次の日の朝、早く起きて次の目的地へ向けて出発した。日差しがとにかく強く、午後には極度の疲労感に襲われ、意識がもうろうとしてきた。友達の腕なんかは日差しで水ぶくれができていた。
この時はさすがにテキサス横断はちょっと無理かなーと思ったりもした。
3日目も向かい風がひどかったが昨日のような疲労感はなかった。
走りも順調で1日で約100kmを走ることができた。
4日目以降も途中で雨に降られたりした事もあったが、平均100kmぐらい走ることができた。
そして8日目、とうとう当初の目的地、サンアントニオに着く事ができた。
ここで1泊した後、友達は授業があるということで先に大学へと帰った。
ここからは一人である。
この時、まだメキシコへ行こうか、大西洋沿いの Curpus Christi へ行こうか迷っていた。
この日は20KMほど離れたUTSA(University of Texas at San Antonio)へ行った。 中でインターネットを使わせてもらおうとしたが夜中だった為、警備員につかまり、明日また来なさいと追い返された。
しかたがないので近くの公園にテントをはって眠った。
次の日の朝、大学へインターネットを使いに行く。
一日中、友達へメールをだしたりし、それから大学のスタッフと一緒にしばらく話した。
夜、Corpus Christi へ行く事を決意し、自転車を走らせた。
しかし、サンアントニオをでた途端、真っ暗な道になり、ライトで使っても走るのは危険だと思い、近くの高速道路までひきかえし、高速道路の橋のしたにテントを強引に張って寝た。 車の音がうるさく、テントがかなり目立つ為、警察がくるか不安だったが、無事夜を明かした。
次の日の朝早く、気合を入れて出発したが、風が今までになく強く、思ったより走れなかった。
この日はキャンプ場に泊まる。 キャンプ場のマネージャーにインターネットを使わせてもらった。
そして次の日の朝(12日目)風がとても強かった。 死にそうになりながら夕方とうとう、Corpus Christi へ到着する。
それから Cupus Christi of University (最終目的地)へ行く。
もう真っ暗だったが写真をとった。
この日は泊まるところを探す気力もなく、ビーチのベンチでうずくまるようにして寝た。
次の日ちょっと早いが 市内を観光し、大学のある Wichita Falls へと帰った。
帰ってきたときにはもう全身真っ黒で、別人のようだとみんなにいわれてしまった。

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