イチローという存在

家に帰り、久しぶりにテレビを見てみると、
NHKでイチローの特集をやっていて思わず見入ってしまった。

今シーズン、イチロー選手からはずっと目がはなせなかった。

何度も何度もニュースを見ては心が熱くなり、日記に書こうとしたのだが、
書いてしまうとただ感動したというだけで、
自分の中で一過性になってしまうのが怖かったのである。

だからいつか落ち着いたら書こうと思っていた。

基本的に普段からあまりスポーツを見ることはなく(する方は好きなのだが)、
イチロー選手についても、日本でプレーしていた頃は
ヒットを量産する天才打者という認識しかなかった。
スポーツを見ないから自然とスポーツ選手に興味を持つこと少ないのである。

しかしイチロー選手だけは特別だった。

彼がアメリカに渡って以来、彼のプレーを見ていると、
哲学や芸術というようなものを感じさせられてしまうのである。

彼の表情、立ち方、しぐさ、打法、走り方一つ一つにみせられ、
彼のまわりだけ別の時間、別の世界が広がっているようにみえてしまう。

チームは低迷しても常に自分自身と戦い、仕事を確実にこなしていく。
古き良き日本の姿をみているようにも思える。

イチローが敵地のシカゴで223本目のヒットを打った時、
敵の観衆からスタンディングオベーションが沸き起こった。

普通、敵のチームの選手から味方のエースが5打席全て打たれたとくれば
屈辱と感じるはずなのに、球状全体が揺れるほどの拍手がおくられたのだ。

思わず涙がこぼれてしまった・・・ こんな選手は他にいるのだろうか。

きっと皆、彼の野球以上に、彼の野球に対する思い、
彼の生き方にみせられてしまうんだと思う。

彼は何十年先、何百年先にも語られる歴史上の人物になっている気がする。

そして今世界中に彼のプレーに感動し、
影響を受けている野球少年達がたくさん生まれているように思う。

いや野球少年だけではないと思う。
野球とは関係のないものにとっても彼の生き方には
共鳴するものがあると思うのである。

イチロー選手。 野球選手である前に、人として尊敬できる人物である。

 

2004/10/16

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