再び萩へ

昨日まで萩に行ってきた。 一昨年訪れて以来、今回で二回目の訪問だった。

萩。 かつて日本はここを軸に歴史が大旋回した。

時は幕末、今から150年程前、黒船が来航した頃、萩の地に大きな変化が起きた。

太平の世、永い永いねむりについていたこの萩の地が、一人の人物を発端にまるで炎のごとく燃え上がったのである。

その発端となった人物こそ、自分が最も敬愛する吉田松陰先生である。

この松陰先生を中心としたわずか数十人の若者によって萩・長州藩が燃え上がり、一時は藩滅亡という危機に瀕しながらも、日本の方向性を180度変える明治維新を成し遂げてゆくのである。

そしてその後もこの萩という山口県の人口5万人にも満たない片田舎から、多くの日本の歴史を代表する素晴らしい逸材を輩出していくことになるのである。

萩はそのような輝かしい歴史を持つ場所で、自分にとってもある種、心のよりどころになっているのである

 

萩の中でも特に強い思いを抱いている場所がある。 松下村塾である。

今回の訪問の中でも松下村塾にほとんどの時間を費やした。

松下村塾は吉田松陰先生が安政の大獄で処刑されるまでの約2年間、志を持つ弟子達にまるで友人のように接し、熱い魂をもって師事した塾で、その建物は今も松陰神社の敷地内に大切に残されている。

松陰神社に着くと初老のボランティアの方が親切に案内をしてくれた。

松陰先生のことを丁寧に語ってくれているのだが、その言葉の端々に松陰先生に対する敬愛の念が強く強く感じられた。

自分が松陰先生のことを言葉にすると、とても嬉しそうな顔をして何度も何度もうなづいてくれ、自分の松陰先生に対する思いも伝わったように思えた。

吉田松陰先生。 幕末期、日本を真剣に憂い、学び、行動し、そしてついには自らの命さえもなげうった人物である。

松陰先生自身は特に政治に直接関わる事は無かった。

貧しい武士の子に生まれ、ただただ自らの信念に従って言葉を発し、行動しただけである。

しかし松陰先生が処刑されるまでの2年間、松下村塾で師事した間に久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎、吉田稔磨、山形有朋、伊藤博文など明治維新の立役者を数多く育てあげたのである。

その弟子達が松陰先生の意思を継ぎ、新しい日本を創り上げる原動力となったのである。

また弟子以外に大しても当時の世を憂える志士達に対して絶大な影響を与えつづけた。

吉田松陰という人物がこの世に生まれていなかったどうなっていただろうと時々思う。

もしかしたら長州藩が徳川幕府を破る事なんて出来なかったかもしれない。 そうなれば明治維新もその後の近代日本の成立も無かったかもしれない。

もしかしたら未だにアジアとアフリカは欧米列強の植民地のままだったのかもしれない。

大げさかもしれないが、松陰先生がいたからこそ、今日の日本、今日の世界があるように思えるのである。

自分がずっと教育に興味があるのも、全てはそれに人の持つ限りない可能性を感じているからである。

萩にくると近代日本の原点は確かにここにあると思わされる。

そしてそれこそが今の日本にとって忘れてはならないもの、守るべきものだと思うのである。

また萩に行きたい。

たとえ自分ひとりであっても松陰先生の志を受け継ぎ、そして後の世代に伝えたいと強く思うのである。

2005/03/28

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